インドネシア年表

インドネシアの歴史年表

年月日

世紀

 出来事
 前2000  オーストロネシア語族マレー系民族が移住
 前1500  中国西南地方から民族移住、水稲耕作
 前1C  インド商人来訪、ヒンドゥー教の影響
 5C~7C  ボルネオ島東部にクタイ王国、西部ジャワにタルマヌガラ王国が繁栄
 8C~10C初  ジャワに、古マタラム王国
 8C後半  ジャワのボロブドゥール寺院建設開始、シャイレンドラ朝のもとで造営。大乗系仏教遺跡
 929  東部ジャワにクディリ王国建国。ダルマウァンサ王、シュリーヴィジャヤと争う。
 1016  ダルマウァンサ王没
 11C

 スマトラ島南部パレンバンにシュリーヴィジャヤ王国繁栄、マラッカ海峡制圧

 仏教文化が栄える

ムスリム商人往来始まる。

 13C  スマトラ島北部、パサイ王国のもとイスラームの受容が始まる。
 1222

 ジャワ、ケン・アンロク、シンガサリ朝建国

 ヴィジャヤ、マジャパヒト王国建国。東ジャワ本拠地。

 名宰相ガジャ・マダのもと、14世紀から15世紀に繁栄。

 末期ブラウィジャヤ王、イスラム改宗容認、衰退。

 1478  ブラウィジャヤ王、イスラム国ドゥマック王国に宗主権容認。
 16C  大航海時代のヨーロッパが香辛料貿易のため来訪。
 16C前半

 ドゥマック王国、マジャパヒト王国を倒し、ジャワ初めてのイスラム国家建設

 西ジャワに、ドゥマックの支援するバンテン王国成立。

 15C末  スマトラ、アチェ王国イスラム化、交易中心地として発展。
 16C前半  マラッカ海峡に面するスマトラ東岸のほとんどがイスラムに改宗。
 1602  オランダ東インド会社、ジャワへ進出。以後、ポルトガル、イギリスを駆逐し、主導権掌握。
 1619  バタビア建設(旧名ジャカルタ)
 18C  ジャワ戦争の結果、ジャワ全域を支配。
 1830

 オランダ、ジャワに強制栽培開始

 ファン・デン・ボスが実施。オランダ本国の直接統治。政庁指定の輸出作物の強制栽培(プランテーション)

 1890

 オランダ軍医、ウジェーヌ・デュボア、ジャワ中部ソロ川上流にジャワ原人(直立猿人)発掘

 ピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus)と名付けた。

 19C末

 オランダ、アチェ戦争により、スマトラ支配権確立。

 ポルトガル領東ティモール以外、東インド諸島はオランダ領となる。

 20C初

 従来の植民地政策であった愚民化政策を反省、倫理政策を施策。

 親オランダ住民子弟に、オランダ語による専門教育。植民地統治運営の一翼を形成。

 1908

 ブディ・ウトモ(至高の徳、ジャワ語)結成。教育を通じたジャワ人活動。

 東インド出身オランダ留学生、東インド協会(Indische Vereniging)結成。民族意識開明。

 1904  オランダ領東インド成立
 1911

 サレカット・イスラム(イスラム同盟)結成。最初は華僑商人対抗が目的。

 オランダ語による教育を受けた知識階層を含んで、東ジャワ全域に広がる大衆組織となる。

 指導者チョクロアミントは、カリスマ性で熱狂的な人気を博した。

 1914  東インド社会民主主義同盟結成。スマラン。
 1920

 東インド社会民主主義同盟を前身として、インドネシア共産党成立。コミンテルン加盟。

 党員をサレカット・イスラムに加入させ、内部で共産党の影響力を強めていく方針から、

 サレカット・イスラム主流派と共産派対立激化、民族主義運動の潮流は分裂、大衆は幻滅。

 1926

 サレカット・イスラムから排除されたインドネシア共産党、武装蜂起。

 植民地政府による弾圧。共産党指導者、海外逃亡、国内潜伏。

 1927  スカルノ、インドネシア国民党結成。世俗主義、民族主義。
 1928  10月27日、インドネシア青年会議、「青年の誓い」採択。インドネシアという名称が明確になる。
 1942

 2月28日、日本軍バンタム湾上陸、侵攻。今村均中将指揮第16軍。

 スカルノ、ハッタら民族主義運動指導者を解放、

 ナフダトゥル・ウラマーなどイスラム系諸団体宗教指導者にも協力要請。

 一般国民に対する初等、高等教育制度の充実。インドネシア語と日本語による教育。

 現地住民に軍事教練、後の対オランダ独立戦争の将校育成。

 1944  9月インドネシア国旗掲揚、国家斉唱解禁。
 1945

 3月独立準備委員会発足。

 8月19日のスカルノ、ハッタ、ラジマンによる独立宣言方針決定。日本軍政、日本政府承認。

 8月17日、インドネシア共和国独立宣言(独立宣言文日付は皇紀使用) スカルノ初代大統領に選出。

 以後、日本軍武装解除を行ったイギリス軍、植民地再開を期するオランダ軍との間で、

 インドネシア独立戦争が展開。

 日本軍人約2千人が参加。

 1949  12月27日、国連斡旋によるハーグ円卓会議により、オランダは正式にインドネシア独立を承認。ハーグ協定。インドネシア連邦共和国正式成立。
 1950  8月15日、オランダ傀儡国家パスンダン国などの合流で、インドネシア共和国発足。同日、インドネシア共和国暫定憲法公布・施行。議会制民主主義。
 1951  1月、オランダ連合国家解消宣言。
 1954  コロンボ会議、東南アジア5カ国首相会議
 1955

 アジア・アフリカ会議(バンドン会議)。

 スカルノ主催。民族独立、半植民地主義・平和共存等平和十原則=バンドン精神。

 9月29日、国民議会議員選手総選挙、12月15日、制憲議会議員選挙、多様な政党同士のため議会空転。

 1945~1965、ダルル・イスラーム運動、イスラム国家樹立を画策。

 1962、西ジャワ、カルトスウィルヨの反乱

 南スラウェシ、カハル・ムザカルの反乱

 1956~1958、西スマトラ、ブルメスタ反乱

 1956  ハーグ協定正式破棄、非同盟中立国家を目指す。
 1957  12月、オランダ人追放。
 1959

 7月、制憲議会解散、大統領に強大な権限移譲、1945年憲法への復帰。NASAKOM

 国軍牽制のため共産党に接近

 1961  12月、西イリアン解放作戦、ニューギニア西部、空挺攻撃。オランダ植民地を占領。
 1963

 3月、国際連合調停、オランダ領ニューギニア施政権インドネシアに移管。

 北ボルネオを含むマレーシア建国を批判、ボルネオ島全域の領有を主張、マレーシア侵入。対決政策。

 1965

 1月7日、国連脱退。対決政策に対するIMF経済援助停止に不服。

 8月17日、世界銀行、IMF脱退。

 9.30事件、共産党シンパ国軍部隊と共産党組織による国軍幹部殺害。スハルトにより共産党、左派勢力壊滅。

 1966  9月、国連に復帰。
 1967

 2月、IMF再加盟、4月、世界銀行再加盟。

 3月、スカルノ終身大統領の地位剥奪、失脚。9.30事件の関与疑惑などから。

 1968  3月、スハルト第2代大統領選任。
 1997  アジア通貨危機
 1998  スハルト大統領辞任

 

インドネシア・ジャワ島の高速鉄道計画をめぐる動き

内容
2011  ユドヨノ前政権がジャワ島で高速鉄道を建設する計画を公表
2014  1月、日本が2億6000万円を投じ、事業化調査を開始
2015  3月、中国が計画参入を表明
2015

 8月、ジョコ大統領が内閣改造。新幹線を推すゴーベル貿易相を更迭、

 インドネシア政府が委託した米国系コンサルタント会社が日中双方の案を評価

2015  9月3日、インドネシア政府が高速鉄道計画の白紙化を発表
2015  9月23日、ナスティオン経済調整相が日本大使に計画継続を伝達
2015  9月29日、ソフィアン国家開発企画庁長官が来日し、菅義偉官房長官に中国方式の採用方針を伝達

 

「インドネシア:中国鉄道案、波乱含み 用地取得や利子重荷」毎日新聞 2015年10月01日 東京朝刊より

 

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